他人の未来が見えるという人

他人の未来が見えるという人

知り合いに、タイトルの様な人がいる。

ある時は、その人の予言めいた言葉に助けられ、行き詰っていたことが前に進むこともあり感謝した。

またある時は、不都合な未来や好ましくない未来を告げられ、気分的にモヤモヤすることもある。

これがスピリチュアルなのか、はたまた別の何かなのは知る由もないし自分自身深く追求することはない。

 

当人曰く、「口が勝手に動く」「誰かに喋らされている」「後で覚えていないことが多い」とのこと。

もっとこの能力を追い求める人はイタコなどを目指すのではないかと言っていた。

 

最近、「必ず結婚する」と言われた。

時期は言わないが「必ず結婚する」、と言われた。

更には、今身の回りにいる人ではなくそのうち自然に現れて、言わば未来の身の回りにいる人と、「結婚する」と。

 

ひどく不快だった。

まず、私は結婚など望んではいないからだ。

更には未来にそんな人が現れるなど、信じられるはずもないからだ。

私は今あるご縁を大切にしたいと思っている。それが最終的に実ろうがそうであるまいが、結果は求めてはいない。

そして再び言うのである、「今いる人は違う」と。

 

私が不快に感じたのは望まない未来を告げられたからか?

それとも、勝手に他人の未来を覗いてペラペラと頼みもしなことを解説されたからか?

 

その人は心理カウンセリングのセッションも受け持つ人である。

本職は別にあるがニーズに合わせてカウンセリングも担当する。

 

カウンセラーが他人の未来を覗いてそれについてとやかく言う、些かアプローチがズレてはいないか?

心的なストレスの要因を突き止めたり、ストレスの軽減に向けての解決策というか方法を提案するのではないのか?

 

未来などは選択の積み重ねの結果で、その時見えた未来も実は次の瞬間には変わる可能性もあるのではないか?

百発百中ではないようで見えないことも勿論あるらしい。

 

私としては自分の未来など聞きたくはない。

もうやめてほしい旨は以前も伝えたが、なぜかまた忠告めいた予言を受け取った。

「傷つくのを見たくない。動けなくなるのを見たくない」、渋い顔でそうも言われた。

 

心配されたことは非常に感謝するし有難い。

が、自分の未来は自分で切り拓きたい、そんなものじゃないのか?

未来を告げられたことで、潜在意識にはきっとその情報が残るだろう。

それは意識の操作になりはしないか?そうやって人を意図せずしてもコントロールすることにはならないのだろうか?

 

是非を問うわけでもないが、私は私の未来を他人の口から聞くなど、楽しみでも興味を持つでもなく、単なる不快でしかない。

やりたいと思ったことを、未来がこうだからって止められるのだろうか?

好奇心を理性で止めてしまえるものなのだろうか?

そこには違和感しか残らない。